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2009-07-30 [その他]

僕は何をしたいんだろう?
僕は何を求めているのだろう?
僕にはわからない。
誰か教えてくれないか?
そんな都合のいい事があるわけがない。
結局自分で見つけなくてはならないのだ。
それはわかっているのだけれど。
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2009-07-29 [その他]

今日は実家に外泊して2日目だ。
朝からパソコンとDAPを触っている。DAPのタグ直しをしているのだ。
入院しているときは漫画を読んだり、DAPで音楽を聴いたりしたりすることもある。
しかし、基本的には何もすることがなくごろごろしていることが多い。

どうなんだろう?淡々とパソコンをいじっているという単純作業をしているのと、
何もしないでごろごろしているのとどちらが生きがいを感じるのか?

困ったことには今の僕にはよくわからないのだ。
そんな風になってしまったのだ。
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2009-07-28 [その他]

精神病院への入院生活を送って1年が過ぎた。
その間に心境が大きく変わってしまった。
ありとあらゆるものを諦めるようになってしまた。
ありとあらゆるものに無関心になってしまった。
仕事も、趣味も、女も、そのほかあらゆることを。
今思うのは無念さだけが心を占めている。
こんな風になってしまった無念さが。
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2008-11-1その2、病院で書いたものに加筆訂正した [その他]

ずいぶんと悩んだが、先日買ったプレイボーイに本番12月号を捨てる事が出来ず、残す事にする。残す理由はただなんとなくもう少し残しておきたい気分がしたからだ。全然理由になっていないが。

PLAYBOY (プレイボーイ) 日本版 2008年 12月号 [雑誌]

PLAYBOY (プレイボーイ) 日本版 2008年 12月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/10/25
  • メディア: 雑誌


PLAYBOY (プレイボーイ) 日本版 2009年 01月号 [雑誌]

PLAYBOY (プレイボーイ) 日本版 2009年 01月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/11/25
  • メディア: 雑誌



なんと終刊まで後1号を残すのみとなってしまった。日本版発刊が1975年。33年の歴史を今年閉じる事になった。今号と終刊号はその記念号になっている。ちなみにアメリカのプレイボーイ誌は1953年。なぜそんなことを書くか?それは本国版と日本版とでターゲットとする読者が違うと言う事をいいたかったから。

プレイボーイプレ終刊号を読んで思ったのが1940年生まれの元編集長と1960年生まれの私との間にアメリカと言う国のとらえ方に開きがあると言う事。元編集長にとってはアメリカと言うのは日本を征服した国と言うのがあるように見えた。こういうとらえ方をするのがこんな世代の人間からだと言うのが私にとっては大きな驚きだった。私は冷戦まっただ中の中で育ったので1975年ごろの日本の反映はアメリカのおかげだと言うような気分だった。そして打ちてしやまん社会主義だった。愛国のあり方も時代が変わればである。ちなみに社会主義に関しては大学時代にうけた授業でずいぶんと考えを変える事になる。「いいじゃないか社会主義」である。これは結局東西の壁崩壊まで悩む事になる。壁崩壊の際には世の中絶対って事なんて何もないと言うようになる。これが全身にいきわたるまで今日までかかったと言ったところか?いや、まだ行きわたったとはいえないかも。
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2008-10-9 [その他]

病院での診察待ちにて思うこと。

女性は太陽だ。
見ているだけでこころがあたたかくなってくる。
なんだかのびのび、おだやかになってくる。
とてもうれしくなってくる。
僕もだれかのそんな存在になっているのかな?
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2008-11-1 [その他]

もはや故郷は安住の地に非ず。
遠くにて想うようになったわれはさすらい人。
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2008-11-08 [その他]

10月9日に精神病院に再入院する事になった。今日は外泊許可をもらったので久しぶりに実家に戻る。今思うのがいかに体が衰えているかと言う事。かっての頃の習慣に従って歩き回っただけなのに、がくがくに疲れてしまった。横にならないといられない位。手はヘロヘロしているし、腰は痛いし、足を動かそうにも自由が利かないし、どうにもくたびれた気分に加速がつく。

味覚にしてもそうだ。味がわからなくなってくる。同じものを食べても、こんな味だったかといた具合。味覚の記憶もおかしくなってくる。かって美味い美味いと食っていたものが何か味気ないものになってくる。おかげで食費がかからなくなってきたのは反作用であり、貧民にとってありがたい事なのだが。

肉体的なことだけじゃない。精神的にもいろいろと不都合が出てくる。物忘れが激しいのはかねてから気にしていたところだった。さっき置いたものがどこに置いたか思い出せない。メモを取ろうにも何からメモすればいいのかわからないぐらい片っ端から記憶から消えている。いや、そもそもありとあらゆる事が脳みそを経由しないで過ぎていく。記憶の概念が変わってしまった。

それに加え9月ぐらいから不安な気分が心を覆うようになってきた。その不安のもたらす心細さのあまり死んでしまうかと思ったものだ。人間あんな心境になるものだと驚かされた。自殺は心が弱いから死ぬのではない。死ぬべき心境になるから死を選んでしまうのだ。いやすざましかった。

不安な気持ちと共にやたらと怒りっぽくなった。まるであらさがしをしてるかのように周りの事柄すべてをいちいち気にしてそのたびごとに腹を立てている。何をそんなにいらだっているのだとも心の一方では思うのだが、いかんせん腹が立つ事をとめる事が出来ない。テレビドラマなどでやたら不機嫌な人間が出てきたりした時、以前は何をそんなに怒っているのだと思ってみていたのがいまやすっかり自分の事である。年を取ると怒りっぽくなると言うが、まだ48なのに、と思っているのだ。いや、人生50年と信長は言ったそうだが、もうそういう域に来てしまったのかと思うと悲しくなってくる。人生を悲観したくなってくる。

気分は高齢者である。

こうなってくると健康だった時考えてもいなかったことがあれやこれや気になってくる。もろに自分の老後はどうなるかである。テレビを見てもマンガを読んでもパソコンを操作しても何か感動する事がなくなってしまった。本当にブログを書くどころではないのだ本当は。

実はこの状況を何とかして伝えたいと思うことが私の身の回り、マスメディアによってもたらされるものを含めて、あまりにも多い。ためにこうやってつたない文章力に嫌気をさしてもこの心境を知って欲しいのだ。

最近大麻に絡んだ犯罪を見かけるようになってきた。実際一時は薬の処方が入院を機に変わったのでそれを戻して欲しいと思っていたこともあったのだ。いまやそういった気分すら起きない。

その結果、もう何をすればいいのかがわからなくなってしまう。一切合財を人に任せたい状態だ。起きて朝飯食って浅野十酢を飲んで昼飯食っておやつして夕飯食って薬飲んで寝る。これは私が病院で送っている生活なのだが、そういった一切合財のトリガーを外から与えてもらわないと自分で行動する気がなくなってくる。入院生活から離れる事が出来なくなってくる。こういった生活を送る事が出来るかどうかが一番の心配事になってくる。だから入院しているのだ、確かにその通りである。だが今現在思うことはそういう生活を送れるか否かになってくる。

で今病院から出たら、そんな生活など全く送れない。だいたいからして一食260円でどうやって食事する?誰が作ってくれる?風呂はどうする、掃除はどうする、薬は保管はどうする。病院にいたらパソコンは触れないのでブログなんてできない。まあ、5文字入れるべきクロスワードのたてに「いえ」と2文字入れてこれでよしとしている精神病の患者にパソコンなんて触らせてどうすると言う話は確かにある。それはともかく、一切合財が手におえない。家にいようとしたら介護してくれる人間が必要になってきている。しかし、家には年老いた母しかいない。ホームヘルパーを呼んでも24時間365日見ていてもらうわけには行かない。こんな気分になるのは自分の健康が失われているかに他ならない。

しかし、世の中にはこんな風に健康を失ってしまった人間もいるのである。心の健康を。

そういった不安に絶えずさらされるようになってくる。一度そういう気分になると生活に絶えず付きまとうような基調低音のようになってきて、もう不安で仕方がないのだ。どうすればいいのかわけがわからない。わけがわからないから逃れる対策も得られない。自分にとってはいつまでも苦しみの中に身を置くしかなくなってくる。

私は入院する事が出来た。しかし、入院費は母が出している。母がいなくなったら誰が支払ってくれるのか?現在でもどこから工面してくれているのか母は明らかにしてくれない。そこがまた不安を誘う。セフティーネットの穴を感じるのはこんな時だ。健康な時なら気にならなかったささいな事がいちいち気になってくる。本当に年金をもらうようになったらどうする?認知症になったらどうする?一月10万の収入しかないのに入院費どうする?

ああ、どうやってもこの不安感を説明できない。ただ、このセフティーネットの穴が存在する事だけはわかって欲しい。そしてその穴に落ちるのがたやすい事を知って欲しいと切に願うのみだ。
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入院生活が私にもたらしたもの、あるいは一人旅がもたらすかもしれないもの [その他]

ご無沙汰しています。7月初旬から9月一杯まで入院していました。入院してしまうと世事とは遮断されました。おさんどん、整理、片付けなどがケアされた日々は非常に快適でした。勿論、他の患者さんと相部屋なのでそういった不便さはありましたが、それでも世事と言ったものがいかに自分を蝕んでいくのかと言う事がよく分かりました。この入院生活の間、世事から解放されたこれでもかと言う自由なあまり深遠の闇を覗き込むような無の間、いやおうなく自分自身を見つめなおすと言う貴重な体験をしました。その結果、自分の物事の考え方に変化が起こりました。

今までは空回りしようが何しようが、進め進め前へ進めだったのが流れに身を任すことの必要さのようなものを感じています。苦しくても、腹が立っても、そういった苦しさから逃れる(乗り越えようとする事も含め)のではなく、そういった苦しみの中に身をまかしてみることの大切さを知ったような気がします。流れに身を任すことは苦しい事で、今なを悲鳴を上げたくなります。泣きたくなります。怒鳴りたくなります。そして死にたくなります。でもそうなっても流れにあえて身を任すようにするのです。すると次にはそういった感情が徐々に和らいでいくのを感じます。以前はここまで我慢できずについ行動に起こしてしまいました。後ひとふん張りが出来るようになりました。

出来るようになったからって別にカタルシスなんて何もありません。乗り越えても苦しみが一時的に消えるだけです。苦しみが来る前と何の変わりのない毎日が継続するだけです。イベントが待っているわけではありません。イベントなんて何もない生活です。よくある体験塾(あんのかね、そんなもの)みたいにやった事がないことを無理やりさせて、「出来ました!!僕にも出来ました!!」みたいな感動はまるでありません。ないのがよかったんでしょうね、私には。私はカタルシスを求めて生きていたようなところがあります。なので、乗り越えても何もなし、単に無にたどり着くだけと言うのは私が体験するべきものだったのだと思います。どうなんだろう?これもカタルシス体験なのかな?こんな風に不安になる事も多々あります。

時折許可を得て外出し、その際に買い込んだ本などを読むという生活をしていました。その際に読んだのがこの雑誌でした。

PLAYBOY (プレイボーイ) 日本版 2008年 10月号 [雑誌]

PLAYBOY (プレイボーイ) 日本版 2008年 10月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/08/25
  • メディア: 雑誌


以前は一人旅なんて結局日常の延長でなんら変化もないだろうと思っていました。なので一人旅の必要性を感じなかったのですが、こうやって自分の行動基準が変るようなことを体験してしまうと、一人旅って大切なのかなと思ってしまいます。一人旅、もしくは3ヶ月ぐらいの入院をお勧めします。
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生きていると言う事 [その他]

私は生きながらえさせていただいている。
私は大いなる意志の元に生きている。
大いなる意思よ、神よ。
私は今なお修行中の身です。
一歩一歩踏みしめるように生きて行きます。
どうかよろしくご指導のほど、よろしくお願い致します。
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精神安定剤の一部かな? [その他]

さて、精神安定に役立っているのかな?ってのがネコ。

近隣の家々で外猫が飼われているらしく、窓の外をネコが頻繁に歩いているのに気がついたのが何年前だっけ?

その頃猫かわいがりしていたのが私の顔写真に使わせていただいているニャンコ君。死んじゃったけどね。

今はでるでるみたいなカラーリングの猫が頻繁に出入りしている。時折網戸によじ登って何かをおねだりしているので「しょうがないなあ」なんていいながらかつぶしをやったりしている。

でるでるとはこちら参照のこと。

本日の猫事情 (Feelコミックス)

本日の猫事情 (Feelコミックス)

  • 作者: いわみち さくら
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2001/12
  • メディア: コミック


ちょうど表紙にでていたので都合よし。こんな色の猫が3匹出入りしている。それぞれ茶黒、黒茶、黒白茶と呼んでいる。名前にセンスがないって?ほっといて!!で、網戸によじ登るのは黒茶。メスネコなのにねえ、元気な事。

ニャンコと同時代のネコの生き残りがまだいる。黒と呼んでいる。最近とうぼえをよくする様になって来た。年なのかな?ちょっとつらい。

昔よく来ていた黒トラの子供が来ている。面倒なので黒トラ1号2号と呼んでいる。たまに来ては餌だけ食っていく。

片手って猫もたまに見かける。右前足がない。それこそ子猫の頃から。なんて過酷な運命をこの子猫に背負わせるのだなんて大いに嘆いていたのを知ってか知らずか、不自由しながらもずいぶんと成長できた。自然も案外やさしいものだと思っている。

こんなことを言うのは以前魚のキャッチアンドリリースに関してかなり厳しい事が書いてあったから。曰く一度傷ついた魚は生存競争に生き延びる事が出来なくなる、と言うもの。キャッチアンドリリースに関してはいいとは思わないけど、自然は案外おおめに見てくれるのかなってのが片手を通じて得た私の感想です。

とにかくネコたちに接するようになってから、生き物に対してちょっと甘くなった。糞が落ちていても昔は「まあ汚い!!」だったのが、「おやおや、始末しとかなくちゃいけないな」に変わった。ネコなりスズメなりカラスなりを見かけると「ああ、いるんだ」なんて思うようになってきた。

ネコ嫌い、犬嫌いの人たちの気持ちが和らいでくれるといいんだけど、とネコ騒動、犬騒動を見るたびに思うのです、なんて言う今日の私は社会派?
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